小学時代迄、お隣の家と家族ぐるみで交際させていただいていた。先方のご長男を私はお兄ちゃんと呼び、小さい時から良く遊んで貰っていた。お兄ちゃんは大学でワンゲル部に入り、遊びに行くとスキーや山の話や、その写真、8mm、スライド等で私の心をアウトドアに向けていった。

高校時代、憧れの君が山岳部に入部。山への憧憬が深まる。私も山岳部に入部しようと思ったが… 大学で山岳部に入部したが3ヶ月で退部(根性無し?)。 当時山岳部は秋のヒマラヤ遠征を目指していて、日本の山しか考えていなかった私は退部した。同級生のワンゲル部員と何度か八ヶ岳へ一緒に行った。これが、人生を変えるきっかけとなった。偶然登った山で、宿泊し、他に客がおらず小屋番をしていた大学6年生と1晩話し込んだ。その縁で夏にアルバイトをする事になり、深みにはまっていった。この頃はペンタックスの35mmを使っていた。1年〜3年までその小屋でアルバイト、2年生の時は年間通算120日其処を中心に各地の山の中に居た。

その後、山仲間と居候として、その後の3代の親父と付き合った。会社員になり、ボーナスで6x7のカメラとニコンを手に入れ、山を中心に撮影していた。当時のネガ、ポジが段ボール一杯に入ってまだ残っている。整理しようとして、高価なフィルムスキャナーも買ったが、6x7を使える程度にスキャンすると1枚300MBを優に越える。時間も1枚スキャンして、調整してハードディスクに記録するのに30分以上掛かる。こうなると当時の私のパソコンと使える金銭では処理能力が追いつかなかったので、大半はそのまま。

それから、会社員時代もずっと山と撮影を続けて来た。若い時はカメラ、三脚、6x7、35mmそれぞれのフィルム、交換レンズで15Kg強、他に山の道具を背負って、重かったけどよく登った。1999年秋、谷川岳一ノ倉沢テールリッジ下部で紅葉の岩壁撮影中、ルートでも無い所を登る奴が居て時たま小さな小石を落としていた。気にしながらも撮影していたが、突然、畳半畳も在る岩を滑り落とし、私と撮影中の三脚カメラ目指して落ちてきた。三脚と私はかろうじて避けたが、ザックの横に置いてあった6x7の50mmのレンズと露出計、35mmレンズ等が犠牲となり、岩場を転がり落ち最後はチャッポーンと沢に水没。

これの損害賠償金を基に、6x7を止め、当時出始めのデジタルカメラに変更。現在のD810迄に7台使用してきた。退職し、趣味の写真から、作品作りを目指し、いつかは人に感動を与えられる作品創りを目指して、二科会写真部の先生に師事し、山の写真を撮り続けるのならと川口先生を紹介され、現在に至る。2017年より、年1回だがヒマラヤへ撮影旅行に現地ガイドとポーターを手配して独り(計3人)で好き勝手な場所、時間で撮影旅行している。


日没の刻  (旭岳)


初夏の峰  (白馬大雪渓上部より杓子岳)


槍出現 (燕山荘付近)


早春の水鏡  (尾瀬沼より燧岳)


縦走路  (五竜岳頂上直下より鹿島槍ヶ岳)


覚醒の刻  (谷川岳 オキの耳)


初冠雪三段染め  (雪倉岳)


黎明の懸崖  (谷川岳 オキの耳)


最後の難関   (谷川岳 ひょんぐりの滝)


赤富士の頃  (二十曲峠)


黎明の彩り  (唐松岳)


早春の登高   (白岳より白出沢を登る登山者)


木道の春  (尾瀬)


秋纏う岸壁  (衝立岩 谷川岳)