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私の旅写真  「私の日本百名山」  白鳥貞夫

(発表:2009年10月例会)

深田久弥の「日本百名山」をやっと登り終えた。百名山を始めたのは、定年近くなって連れ合いから「何かやったら!」と尻を叩かれたからで、それまで山登りとは全く無縁だった。暫くはツァー登山について行くのが精一杯で、荷物を軽くしたい一心でろくなカメラを持参しなかったし、休憩時に周辺を見回して撮る程度で、これでは山岳写真の「作品」など撮れる筈がない。同じ頃に友山クラブに入れてもらい、会員歴は12年になるが、登山で撮った写真を写真展に出したことがない。

更に言いわけを加えれば、撮影ポイントを決めてじっくりチャンスを待つ山岳写真と、脇目もふらずに先を急ぐ登頂登山とは両立しないし、そもそも登山道から今登っている山の姿は見えない。そんなわけで小生の「百名山」レポートは友山クラブの「規格外」で、発表するのもおこがましいが、指名に応じて恥を忍んだ。そんなレポートから抽出した以下の15点は、小生の記憶に残った山の備忘録である。

(小生の百名山登山についてご興味のある方は、個人ホームページ「写真で世界を巡る」の「日本百名山」の記事をご覧下さい。)


「私の百名山」レポートから

白馬岳  2932m    登頂 1957年7月
高1の時に大人に交じって登った。その時に小生が撮った写真が親の遺品のアルバムから出てきた。セミ版白黒フィルムの密着焼だが、スキャンしてみると、我ながら悪くない出来である。少年時代に才能に目覚めていたら、ひょっとして山岳写真家になったかもしれないが、残念ながら気付くのが50年遅かった。(この写真から50年前は大雪渓が随分雄大だったことが分かる。やはり温暖化は深刻。)
富士山  3776m   登頂 1996年8月
百名山を始めてすぐに富士山に登った。少しでも若い内に登っておこうと思ったからだ。高度障害で連れ合いはお釜の縁でダウンし、小生だけ何とか剣ヶ峰の山頂に立った。09年、連れ合いのリベンジ登山に小生もつきあったが、少し山慣れしたせいか今回の方が楽に登れ、山頂で縄跳びができそうな気分だった。写真は09年のものだが、山頂の測候所はレーダーが撤去されてまるで廃墟のようだ。
美ヶ原 2034m   登頂 1997年2月
実は小生の百名山第1号は小6で登った美ヶ原だが、写真がないのでカウント外。再登は友山クラブに入会した翌年の冬季撮影会。大雪で交通機関がマヒし、1日遅れでやっと合流できた。翌朝は滅多にない好条件で、樹林は霧氷をまといアルプスも見事に赤く焼けてくれた。寒さに耐えながら川口先生や先輩会員の機材・撮りっぷりを横目で眺め、とても真似できないと悟った。その心境は今も変わらない。
利尻岳  1721m   登頂 1998年8月

日本最北端の山は行くのに旅費と時間がかかるし登るのもシンドイ。利尻岳の年間登山者数は1万人前後らしいが、百名山の消化で仕方なく行く人も少なくないだろう。我々も資金・体力のある内にと考え、現役時代の夏休みに遠征した。終日の霧雨に火山灰の急斜面で難渋したが、山頂直下で一瞬雲が切れて下界が見え、登り甲斐を実感した。山頂で会社の同僚夫妻とバッタリ出会い、分けてもらった大福餅の味も忘れ難い。

宮之浦岳  1934m   登頂 2000年4月
ツァー登山の利点は、旅の手配、登山口への移動や弁当の心配が要らないこと。宮之浦岳のような場合に助かる。本来は屋久杉を見ながら2日かけてじっくり登るのが望ましいが、百名山消化ツアーでは淀川入口の登山口から最短ルート往復で日帰りする。屋久島名物の雨に加えて山頂は凍える寒さで、岩かげまで下って震えながら弁当を食ったものの、山頂に戻って写真を撮る気が起きなかった。
岩木山  1625m   登頂 2001年10月
古くから信仰登山の山だが、8合目まで車で登らせてもらった。9合目までリフトを使えば、百名山の中で最も楽に山頂に立てる山かもしれない。山頂から麓を見下ろすと、一面に見事な紅葉の絨毯が敷かれ、「錦繍」とはこの事を言うのか、としばし息を呑んだ。この後八甲田山と八幡平を回ったが、岩木山の紅葉が一番強く印象に残っている。
十勝岳  2177m   登頂 2002年8月

夏休みに予定した海外旅行がドタキャンになり、急遽北海道の百名山消化の旅に出た。小樽でフェリーを降りて十勝岳に直行し、大急ぎで登頂。左は十勝岳から夕暮れの夕張岳を撮ったもの。翌日大雪山に登り、下山の途中で激痛が左膝を襲った。杖にすがってやっと下山し、以降の登山プランはキャンセル。現地の医者に痛風と診断され、北海道必須のビール・カニは厳禁に。さんざんな夏休みだった。

北岳  3192m  登頂 2003年8月
日本で2番目に高い山ということで身構えたが、御池小屋・草スベリのルートは危険個所も無く、案ずるまでもなかった。高山植物は雪渓が消えるのを待って一気に花を開く。雪解けの遅い北岳は高山植物の宝庫で、肩ノ小屋下の斜面など、一面のお花畑に目を奪われる。北岳はリピート登山した数少ない山の一つだが、この山には歳をとってからでも登れそうなのが嬉しい。
剣岳  2998m    登頂 2004年7月
シロウトでも登れるように、難所には頑丈な鎖や足場が整備されていているが、それでも一歩間違えば墜死は免れない。我々のツァーでは事前のセルフビレイ(自己確保術)受講が課せられた。夜明け前に剣沢小屋を出て9時前に無事登頂できたが、下りはルートの渋滞と仲間のペースダウンで、小屋に戻ったのは日暮れ時だった。よほど緊張したらしく、写真は数枚しか撮れていなかった。(左はカニのタテバイ)
平ヶ岳  2141m    登頂 2004年9月
奥利根の最深部にあって里から見えない。深田は3日がかりで登ったというが、今もアクセスが容易でなく歩く距離も長い。しかし裏口はあるもので、我々が参加したツァーでは地主の車で専用林道の終点から近道を通り、半日で往復できた。山名のとおりの平坦な山頂部に池塘が豊かな水をたたえ、9月中旬に草紅葉が始まっていた。
雨飾山 1963m    登頂 2006年10月

百名山登山で悪条件で登頂を断念したことは2度しかないが、その一つが雨飾山。04年の春の連休中、無謀にも残雪の急斜面を軽アイゼンで直登して山頂直下に至ったが、完全装備のプロが引き返すのを見て我々も断念した。シロウトには分からぬ雪庇があったらしい。06年晩秋に再度挑戦、雨飾ならぬ錦飾に包まれた山を歩き、深田のこの山への思い入れが少し分かったような気分になった。

飯豊山  2128m   登頂 2007年7月
飯豊山の良さは縦走せねば分からぬと聞いたが、数日分の食糧を担いで歩く体力と気力は自分には無い。百名山ツァーは最短距離で飯豊本山を往復する。昔の信仰登山の道でもあるが、これが結構キツイ。修業だから当然かもしれぬが、草鞋で歩いた先人を尊敬したくなる。だが、稜線に出れば極楽浄土を思わせるお花畑や純白の残雪など道具立てがそろっている。昔でも集客のキャッチが無ければ団体登山は成り立たなかったのだ。
幌尻岳  2052m    登頂 2007年8月
シロウトは尾根歩きが原則だが、幌尻では沢登りが避けられず、急流に胸まで浸かることがあるという。我々のツァーでは事前の渡渉訓練が参加条件で、実習で流される受講者もいた。幸い本番では水位は太腿止まりで、ベテランガイドと地元登山家の支援を得て全員無事に通過できた。だがせっかく登った山頂は霧雨に覆われて展望皆無。歯の根も合わぬ寒さで、凍えぬうちに大急ぎで下った。
巻機山  1967m     登頂 2008年10月
深田は「日本百名山」で、その山の「品格」を語るのに紙面の大半を費やしている(登山ガイドの役には立たない)。山の「品格」は姿かたちだけでない。地元の人々に恵みをもたらし敬愛される山に「品格」が生まれるのである。そんな山には愛すべき説話も伝わる。秋の巻機山に登って、深田の言う「山の品格」が初めて腑に落ちたような気分になった。
奥穂高岳 3190m    登頂 2009年8月
百名山を奥穂高岳で締めくくることにした。日本で3番目に高く、日本のアルピニズムの象徴である。完登記念に大縦走も考えたが、先ずは安全第一。横尾・涸沢経由の一般ルートを往復し、夫婦同時・無事に百名山を完了した。奥穂の小屋でアラキジュ、アラベイの登山者にお会いした。アラコキ程度で登山卒業などと言ってはいけないらしい。我々もやれるまで登り続けてみようか。

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